釣りとはまったく関係ないけど、管理人が選ぶ伝説の名勝負

第24戦 皇帝・エメリヤーエンコ・ヒョードルの世界を驚嘆させた一戦
vsアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ(ブラジル)

エメリヤーエンコ・ヒョードルMMAグローブはマーシャルワールド

エメリヤーエンコ・ヒョードル

ウクライナ出身のロシア人格闘家、1976年生まれ。柔道でヨーロッパトップクラスの実力を有した実績を引っさげ、ヴォルク・ハン主催の道場に入門。2000年にプロ格闘家デビューを果たすと、一気に潜在能力が開花。元・柔道家とは思えない強烈過ぎる打撃を武器に、強豪をことごとく撃破し、プロデビューから数年後には“世界最強”の格闘家として世界中から認識されるようになる。
2000年に一度、アクシデントによる負けを喫してから、2010年にファブリシオ・ヴェウドゥムに敗れるまで、10年間無敗を続ける快挙を成し遂げるも、その後、連敗したこともあり2012年にプロ格闘家を引退。引退後はロシアスポーツ省に入省し、ロシア格闘技連盟の代表に就任する。

1R 巨神兵・セーム・シュルトに苦戦するもフルマークの判定勝利

エメリヤーエンコ・ヒョードルがリングスで二冠王になったと同時に、リングスは活動休止となってしまったため、ヒョードルは当時世界一の規模を誇ったMMA団体PRIDEと契約を結んだ。ヒョードル契約当時のPRIDEヘビー級は、チャンピオンのアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラを筆頭に、ヒース・ヒーリングやセーム・シュルト、マーク・コールマン、イゴール・ボブチャンチン、ゲーリー・グッドリッジ、トム・エリクソンなどが参戦しており、世界最高の選手層を誇っていた。ヒョードルのPRIDE初戦は、“巨神兵”とも称されるセーム・シュルトだ。

セーム・シュルトはオランダ出身の空手家で、212cmという体躯を活かしたストライキングを武器に、日本の老舗格闘技団体パンクラスでチャンピオンとなり、着衣総合格闘技の大道塾でも王者となった強豪だ。PRIDEに参戦した後、キックボクシング団体K-1のチャンピオンに幾度も輝いていることから、当時からストライキング能力は非常に高く、PRIDEでの勝利はすべて空手の突きによるKOなのだ。

1R。ヒョードルとシュルトが並ぶと相当な身長差がある。ヒョードルはシュルトの打撃を警戒し早速組付き、反り投げでテイクダウンする。寝技の実力はヒョードルが圧倒的に上であるが、シュルトは長い手足でヒョードルの動きを絡めとり、パウンドや関節技を許さない。しかも長いリーチを活かし、下から拳を突き上げてくる。ならばとヒョードルは怪力を活かしてネッククランクでシュルトの首を攻めるも、シュルトは下から拳を連打し、根性で極めさせない。さすがにパンクラスや大道塾で王者となっただけのことはあり、そう安々とは極めさせてくれない。結局、ヒョードルが寝技のポジショニングで圧倒しただけで、決定打を出せずに、10分と長い1Rの終了。

2R。ヒョードルの顔はアザだらけだ。シュルトの下からの拳がいかに強いか物語っている。シュルトが得意の打撃でプレッシャーをかけるも、ヒョードルが素晴らしいタイミングで胴タックルを決め、テイクダウンを奪う。ヒョードルが上、シュルトが下のガードポジションで、ヒョードルはシュルトのガードを割ることができず膠着。ヒョードルはシュルトの下からの突きで、左目付近に裂傷を負ってしまう。結局、このまま5分の2Rは終了。残すは最終3Rの5分だけ。

3R。やはり1、2Rと同じ展開、ヒョードルが組み付きシュルトをテイクダウン。ヒョードルはシュルトからサイドポジションを奪うも、やはりシュルトのディフェンスは堅く、有効打を与えられない。ヒョードルは、サイドは難しいと判断したか、マウントポジションを取り、なんとか左のパウンドを数発決めるも、いかんせん軽い。結局、膠着したまま3Rも終了。判定は3-0、ヒョードルがフルマークの勝利を得たものの、シュルトがあまりに強すぎたため、苦いPRIDEデビュー戦となってしまった。しかし、ヒョードルの顔面はアザだらけであり、いかにこの闘いが激戦であったか物語っていた。

2R ヒョードルのパウンドでヒーリングの顔面が崩壊! 次期挑戦者に

苦戦したとはいえ、強敵セーム・シュルトを下したヒョードルの評価は高く、ヒース・ヒーリングとの次期挑戦者決定戦が組まれることとなった。ヒーリングは、PRIDEに参戦するまで無名の選手であったが、PRIDEではトム・エリクソンやエンセン井上、マーク・ケアーなど、名だたる強豪をいい内容で沈め、体制側からの評価が非常に高い選手だ。PRIDEでの実績ではセーム・シュルトを上回っており、ヒョードルにとって過去最強の相手と言っても過言ではない。

1R。ゴングが鳴るとヒーリングが突っ込み右の前蹴り、しかしヒョードルはその蹴り足を掴みテイクダウン。ヒョードルはサイドポジションを奪うも、ヒーリングは下から動き回転、ビクトル式膝十字固めを極めにいく。ヒョードルは冷静にディフェンスし、ハーフガードの体勢、左のパウンドをガツガツと入れる。パウンドを嫌がるヒーリングは突き放そうとするも、ヒョードルは完全にサイドを取り、強烈な膝蹴りをぶち込む。ヒーリングは抵抗するが、この日のヒョードルのパウンドは冴えに冴え、次々とヒーリングの顔面に沈めていく。そしてヒーリングの顔面に、ヒョードル渾身の右パウンドが炸裂。ダメージからヒーリングは亀の状態となってしまい、さらにヒョードルは好機とばかりに強烈過ぎるパウンドを何十発も決めたのだった。

あまりにヒョードルのパウンドが強烈過ぎたため、ヒーリングは思わずリング外にエスケープしてしまいイエローカード。同時にドクターチェックになったのだが、ヒーリングの顔面はすでに変形。場内はどよめきに包まれる。長いドクターチェック、ストップかと思われたが試合再開だ。

やられたままでは終われないヒーリングは左、右とミドルキック。いいタイミングでヒョードルのボディーを捉える。しかし、3発目のミドルキックはヒョードルにサイドを取られ抱え上げられてテイクダウン。ヒョードルのパワーに場内どよめき、テイクダウンを取られたヒーリングには再度のパウンド地獄が待っていた。ヒーリングが逃げようとしても、ヒョードルは抜群のボディーコントロールでヒーリングを寝姿勢から解放させず、重たいパウンドを次々に決めてしまう。そして強振した左のパウンドがヒーリングにズバリと決まり、一瞬、ヒーリングの動きが止まる。さらにヒョードルはパウンドを続け、ヒーリングの体力を削りに削り、1R残り一分。

ヒョードルはバックチョークを狙うも、ヒーリングが凌ぎ、ヒーリングが上を奪取。しかも、上四方の体勢を奪い千載一遇のチャンスを得る。ヒーリングは必死に膝蹴りするも当たらず、ならばとマット・ヒューズポジションでパウンドを放つも、足のホールディングが悪く、有効打を当てることができずにタイムアップ。ヒーリングはダメージのせいもあり、せっかくのチャンスを活かし切ることができなかった。

2R開始前、ゴングの連打。試合終了。ヒーリングは眼窩底骨折の疑いがあり、これ以上の試合続行は危険と判断したレフェリーが試合をストップしたのだ。こうしてヒョードルは、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラが持つベルトへの挑戦権をもぎ取ったのだった。

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3R ノゲイラをまったく問題にせず圧倒、余裕でチャンピオンに輝く

2003年3月16日、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとのPRIDEヘビー級タイトルマッチ。ノゲイラはヒョードルも参戦した第2回リングスKOKトーナメントの覇者で、PRIDEに参戦してからはゲーリー・グッドリッジとマーク・コールマンからタップを奪い、ヘビー級王者決定戦ではヒース・ヒーリングを圧倒して判定勝ちをおさめヘビー級チャンピオンに輝いている。ヒョードルとの対戦時点では、確実に世界で一番強い男として世界から評価されていた選手で、特に寝技スキルに優れるため“柔術マジシャン”の異名を取っていた。

1R。まずはノゲイラがダブルレッグ、長い腕でヒョードルの両足を絡めるも、ヒョードルは抜群のボディーバランスで凌ぎテイクダウンを許さない。スタンドの展開となると、両者フェイントの探り合いからヒョードルが体ごとぶち当てるような右ストレート。これがズバリと決まり、ノゲイラは後方にふっ飛ばされグラウンドの展開に。ノゲイラは様々なガードテクニックでヒョードルを支配しようとするも、ヒョードルは上半身のパワーを活かしてコツコツとパウンドを当てていく。するとヒョードルは一瞬身体を離してから、スーパーマンのように飛び込みながらのパウンドを連打。そのほとんどをノゲイラの顔面に沈めてしまった。ノゲイラは常に下から仕掛け続けて動いていたため致命傷となることはなかったが、大ダメージを被ったことは確実だ。さらにヒョードルはパウンドを続ける。

ノゲイラはパウンドを防ぐため、ヒョードルの手首をガッチリと掴み、関節技を狙う。そして、下からアームロックの体勢に入るも、ヒョードルにあっさりと腕を抜かれてしまい、代わりに強烈なパウンドを浴びてしまう。諦めることを知らないノゲイラは、幾度もアームロックやオモプラッタといった関節技や三角絞めを仕掛けにいく。しかし、「残り時間3分」のアナウンス直後、ヒョードルの強烈過ぎる右のパウンドがノゲイラの顔面を捉える。ノゲイラは一瞬動きが止まってしまい、ヒョードルがパウンドの雨あられ。コーナーポスト際だったこともあり、多数のパウンドを受けたノゲイラは、目がうつろで焦点があっていないような表情に見え、試合が止まってもおかしくないほどのダメージを受けてしまったようだ。

その後もいいパウンドを浴びてしまったノゲイラであったが、残り一分のところでスイープに成功。上下を入れ替えサイドポジション。マット・ヒューズポジションに移行しようとした瞬間、今度はヒョードルが怪力を活かして上下を入れ替えてしまった。そして1R終了。コーナーに戻ったノゲイラは見るからに消耗が激しい。

2R。上になりたいノゲイラはダブルレッグを仕掛けるも、いわゆるクワガタタックルのため決まらず、結局、1R同様、ヒョードルが上、ノゲイラが下の寝技の展開に。2Rはヒョードルは疲れたか、1Rのような豪快なパウンドを放てず、コツコツと上から殴り続ける。ノゲイラは時折三角絞めを狙うも決められず、膠着気味に展開する。2Rは大きな展開はなく、ヒョードルが上からコツコツ、ノゲイラが下から仕掛けるという展開が続き、最後にノゲイラがスイープを決めたところで2R終了。残すは最終3Rだ。

3R。ヒョードル、右フックからの小外掛けでテイクダウン。打撃とテイクダウンをワンテンポで行うヒョードルだけの高等技術だ。そしてコツコツとパウンドを当てていくが、ノゲイラは起死回生のオモプラッタ! ヒョードルは体が回転してしまうも、即座に腕を抜き脱出。逆にサッカーボールキックを一発お見舞いする。もはやノゲイラになす術なし。最後まで諦めずにスイープや三角絞め、蹴り上げなどを仕掛けにいくも、すべてヒョードルに潰されパウンドを浴びてしまう。

結局、そのまま試合終了。ノゲイラはリングの床を叩いて悔しがり、判定がどうなるの悟っている様子。判定は文句なし、3-0のフルマークでヒョードルに凱歌が上がった。ヒョードルは、リングス活動休止後たった1年で、PRIDEのチャンピオンに輝くという偉業をやってのけたのだった。セーム・シュルト、ヒース・ヒーリング、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラを下し、ヒョードルの評価は一気に上昇し、世界中のMMAファンから名実ともに世界一だと認められることとなった。それまで世界NO.1と認められていたアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラから完封勝利したこの一戦こそ、伝説の名勝負と呼ぶにふさわしい。

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